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『分かってる、』以降のサビの訳が、特にすばらし過ぎる。

私は重度の「活字中毒」であるが、これは必ずしも「面白い本が読みたい」ということを意味していない。
字が書いてあれば何でもいいのである。
現に、電車の中で本を読み終えてしまうと、私は巻末のカタログを熟読し、奥付を読み、中吊り広告を読み、窓に貼ってある広告(「わきがのことはオレにまかせろ!」などというのを)を熟視する。
これはどう考えても「読書」ではない。
私はおそらく「字を読む」ことそれ自体をはげしく欲望しているのである。
橋本麻里さんも子ども時代から強度の活字中毒で、家中の本を読みあさり、ベッドの中でも読み続けたせいでたちまち近視になったそうである。
「慌てた両親は読書禁止令を出したが、海苔の佃煮の瓶に貼られたラベルを、何度も舐めるように読み返している娘の姿に哀れを催したのか、禁止令はいつの間にかうやむやになってしまった。佃煮のラベルも、読み込めばそれはそれで結構面白い」(『街場の現代思想』の解説から)
そう、これである。
読む本がなくなると、海苔の佃煮の瓶のラベルでも、風邪薬の効能書きでもなんでも「舐めるように読み返す」のが活字中毒者である。
あきらかにコンテンツには副次的な重要性しかない(というか、副次的な重要性さえない)。
重要なのは「文字を読むこと、それ自体」なのである。
脳の一部が「読む」という行為が随伴するある種の生化学的な反応を求めているのである。

朝の読書 (内田樹の研究室)

これですよ、これ。

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(via tonbi-ko)

The Jane Doe’s

“You Bring The Devil”

The Jane Doe’s

“Junkie”

The Jane Doe’s

“My Lady”

“The Jane Doe’s”

“California”

“The Jane Doe’s”

“Who’s Kidding Who?”